ご神体

 『新編武蔵風土記稿』には、蒲田村八幡社の項に、神体として天照大神・八幡大神・春日大神の古雅な木造が安置されていたとあります。

 天照大神の像は鉾を逆さにして杖のようにつき、巌上に立っており、八幡大神は左手で弓をとり、右手はハカセ(貴人の太刀の敬称)の柄に手をかけた像です。共に高さは二尺七八寸(約80センチメートル)で、 仏師に鑑定してもらったところ、鎌倉期かそれ以前の製作といわれたようです。春日大神の像は、江戸初期に蒲田新宿村が蒲田村から分村した際、新宿村に新たに鎮守を創建したので、その祭神として分与したと記されています。

 さらに『風土記稿』は蒲田新宿村の八幡社(現在の蒲田八幡神社)の項で、「神体は立像で世尊の像に似ている。左手に軍配団扇をとり、右手に巻物を持つ。寺伝では行基菩薩の作であると言い伝えられている。」 と記し、さらにこの項に続いて「古塚」という項を設け、分村の際に分与した春日大神像は、祟りを避けて埋納したと記してあります。そうなると神社の項にある像は何神の像かという問題がでてきます。

 『蒲田町史』薭田神社の項に、「明治時代に神仏分離のため、仏像を焼棄するという説があった。これを聞いた村内新宿の人石井良助が、春日神像(薭田神社より新宿八幡社に遷してあるもの)を守るために深夜密かにその神像を持って自家庫中に隠し、後にこれを新宿八幡の別当寺妙安寺に移して僧衣を纏い、原形を覆って今日に至る。」と記されていて、春日大神像は理納したという伝承はあるものの、『蒲田町史』が編纂された昭和8年頃まで伝存していたことを示しています。

 そして同書の新宿八幡社(蒲田八幡神社)の項に「神体は立像(此立像は今妙安寺境内にあり)」と記され、 同寺に移されて後、そのまま同寺に保管され、境内の堂にまつられていたようです。この像は妙安寺が戦火を受けたとき、焼失したらしく、現在は残っていません。

 また薭田神社に安置されていた天照大神と八幡大神の像も、同社が戦災で焼失した際に罹災したらしく、現宮司も見たことがありません。